INTERVIEW

名越稔洋が考える、ゴールが見えにくい時代に生き残る知恵<インタビュー企画 前編>

2022年1月、自らが代表を務める新会社・名越スタジオ設立を公表した名越稔洋。本インタビューでは、彼の志の輪郭に触れるようなエピソードたちをお届けする。幼少期からゲーム業界に足を踏み入れるまで、どのようなものに触れ、考え、歩んできたのか。人生の選択をする上でのスタンスや、今の時代に自分自身の道を見つけるための考えかたまで、名越稔洋という人間の思考について掘り下げていく。


 遊びを作っていた幼少期、映画制作を学んだ大学時代 

──幼少期、現在のモノづくりの原点となるようなきっかけはありましたか。

名越  従来の遊びをカスタマイズするようなことはよくやっていたかもしれません。たとえば、草野球をするにしても、学校の休み時間は限られているじゃないですか。その中で試合を盛り上げたり、うまく決着をつけたりするための独自ルールを考えて。制限された中で新しい遊びを生み出したり、発見したり。昔のことなので朧げではあるけど、そういった新しい楽しみかたを考えるのが好きだったし、実際に遊んでいたことを覚えています。

──遊びの大枠をとらえて、それをカスタマイズしていたわけですね。ひとりで遊ぶときは何を?

名越  絵を描いていることが多かったですね。ちょっと絵を描いてみると、まわりから「上手だね」と褒められることもあって、それがうれしくて。当時、子供が憧れるエンタメ系の仕事といえばマンガ家でした。実際にマンガ家になれるかはさておき、自分も何かそういうことを将来の仕事にできるかも、くらいのことは思っていましたね。

──マンガがお好きだったんですね。ほかにもエンタメ作品に触れる機会はあったのでしょうか。

名越  テレビや劇場でよく映画を観ていましたね。当時のハリウッド大作は今よりもストーリーが単純だったし、スケールも大きいので、子供ながらに没頭して楽しんでいました。ただ、そうした経験が映像制作を仕事にしたい、みたいなことに結び付くことはなくて。何というか、そういう仕事は優秀で選ばれた人間だけができると思っていましたから。

──でも大学進学時には、映画学科を選ばれていますよね。

名越  正直なところ、部活を選ぶくらいの感覚で。楽しそうだと思っただけで、将来につなげようとはまったく考えていませんでした。ただ、大学は長い時間を過ごす場所なので、せっかくならユニークな体験ができたらとは思っていたけれど。

──実際に学ばれたことで、仕事にできそうだとは思いませんでしたか。

名越  やっぱりそうは思えなくて。軽い気持ちで入学してみたら、半分以上の学生は自分とは気合いの入りかたがまったく違っていたし、真剣に映画制作の世界を目指しているがゆえの緊張感が漂っているんです。これは、うかつに「映画業界に進みたい」なんてことは言えないぞと(笑)。でも、せっかく入学したので、勉強自体には一生懸命取り組みましたけどね。

──就職活動はどうされたんですか。

名越  就活の時期になってもあんまり先のことは考えていなかったので、困りましたよ。ほぼ100%聞かれるであろう「大学4年間、何をしていましたか?」なんて面接の質問にも、自分はなんて答えるんだろうなと思っていました。結局、実際の面接でも、思ったことをそのまま答えていた気がしますね。「一生懸命やっていれば、何か得られるんじゃないかと思って勉強に取り組んできました」と。

──勉強を含めて大学生活は楽しんでいたけど、あまり将来の展望はなかったと。

名越  まわりはみんな映画作りを目指して入ってきているわけで、入学した時点で、映像の文法だったり、作法だったりということにある程度の知識があるんですよ。でも私は本当にゼロの状態で入ったから、講義が純粋に楽しくて。勉強をしていて発見が多かったんです。カメラを持って外で何か撮るほうが楽しい人は多いのかもしれないけれど、私は座学のほうが楽しかったほうで。それまで触れてきた映像がどういったロジックで作られているかといった話に、いちいち目から鱗が落ちました。

──カメラを回すよりも座学のほうが好き、というのは珍しそうですね。

名越  でも、そうして映画作りの道に進む気もなく学んだ映画制作のロジックが、のちにゲーム会社に入ってからおそろしく役に立ったので不思議なものですよね。勉強しているときは、将来の役に立つなんて思ってもみなかったから。

 楽天家ではあるけれど、努力は惜しまない 

──映画業界でないとすると、将来はどのような業界を志望されていたのですか。

名越  私が就職活動をしていたころはバブル経済の真っ只中で、とにかく物が売れる時代です。売ることの正義を追求する時代だったので、映画業界以外を志望する学生には、広告代理店や企業の宣伝部などが人気でしたね。映像を撮りたい人は、CM制作の道へ進むことも多かったし。でも、そこで私はまた「そういう仕事は優秀なエリートがやるものだ」と思っていて、自分が選択していいとは思えなくて。じゃあ、どうするかを考えたときに、自分が費やした時間の長いものを仕事にしたら良いだろうと。学生時代を振り返ると、映画を撮るよりもゲームをしていた時間のほうが圧倒的に長かったので(笑)、その道に進むのはありかもしれないって。

──それでゲーム業界に。その後、セガに入社されるわけですが、就活していたときのセガはどんなイメージだったのでしょうか。

名越  当時のセガもすでに雲の上のような存在でしたよ。ゲームセンターへ行けばロゴが入った筐体がたくさんありましたし、テレビCMも流れていましたから、決して小さな会社ではなかったです。実際、僕は到底受からないと思っていました。でも、まずは就職活動を体験してみないことには始まらないと思ったので、大学に求人が来ていたセガを受けてみて。落ちる前提で受けに行ったら、なぜか受かってしまった。

──なんと!(笑)。ゲーム業界に飛び込んでみた印象はいかがでしたか。

名越  まだインターネットもない時代で、雰囲気や具体的な仕事内容を知る術はほとんどなかったので、入社前にはまったくなんの情報もありませんでした。困ったのは、想像以上にゲームを作りたいと心に決めている人たちの集まりだったことですね。「まずいな、自分は場違いだな」と感じました。

──大学のときも近しい感想を持たれていますが、行く先々でつねにそうした「場違いかも」という感覚が付きまとうのは興味深いです(笑)。そこで「辞めたい」とはならなかったんですか。

名越  辞めたいという感情はなかったんですが、「配属された部署には長くは居させてもらえないかもな」とは思っていましたね。というのも、知識やスキルのレベルがあまりにもまわりと違いすぎたんです。当時は8ビットのパソコンが30万円、40万円とする時代。にもかかわらず、すでに触れてきた経験がある人たちばかりで。私は入社して初めてパソコンに触れて、「いったこれは何ができるんだ?」という戸惑いからのスタートでしたから。

──その時期をよく乗り越えられましたね。

名越  楽天家なんでしょうね(笑)。うまくついていけない仕事があったとしても、クビにならなければチャンスをもらえることもあるだろうと。一時的なことで焦らず、悩みすぎず。もちろん、自分なりに努力はしていましたけど。

──そこは肝がすわっていますね。

名越  学生のときって「いい学校へ進んだら勝ち組」みたいな印象があるかもしれないけれど、そういう“勝ち組”のレールに乗らなかった人が、大人になってからうまくいくことってあるじゃないですか。またその逆もあったりして。それは会社の仕事でも言えることで。ひとつ確実なのは、一生懸命やっていないと、絶好のチャンスが巡ってきたとしてもそれを掴めないということです。だからつねに楽天家ではあるけれど、努力は惜しまないスタンスでいました。何もやらずに何とかなるってことは滅多にないので。

──でも、興味を持てるかわからないことや、全容が不明瞭なものに対して努力をするのは、なかなか難しいと思います。具体的なゴールや成功イメージが見えなければ、努力が続かないというか。

名越  それはわかります。とくに今はゴールが見えにくい時代だし、誰しも目標を定め切れない時期はあると思います。そういうときはあまり悩みすぎず、できることをひたむきに、試行錯誤しながら続けてみるしかないんじゃないですかね。私自身、ゲーム作りを生業とする人生になりましたけど、それが「天職か?」と言われると今でも正直わからなくて。“ゲーム作り”という道自体はうまくいく選択のひとつではあったと思っているけど、もしかしたら途中で諦めた中にもっと良い道があったかもしれない。でも、人生って、それくらいでいいと思うんですよね。辿り着いた場所で、ともかく一生懸命にやってみると。

──「自分がその場にフィットしなそう」と感じると、努力ごと放棄してしまう人も少なくないように思いますが、何か努力だけは続けておけと。

名越  いずれ転職するにしても、何か努力を続けていたほうがいいですよね。

──確かにそうですね。

名越  あと、関わった以上は責任を持ちたい、という気持ちは昔から強いんですよ。お世話になった人や経験があるから現在の自分があるわけで、それをいつか返したいと思って努力しているところもある。仕事のモチベーションって、人とのつながりから来るところが大きいじゃないですか。その意味では、今は自分のスタジオを立ち上げたので、スタジオに対する責任が一番ですね。良い環境を整え、魅力的なプロジェクトを提示し、スタッフに良い仕事をしてほしい。これを実現することが、私が今後走り続けるための大きな動機になっています。

──明確な目標をお持ちなのですね。

名越  少し話が戻りますが、若い人たちが「何をしたらいいのかよくわからない」と思う気持ちも、非常によくわかるんです。たとえば「目標は何か」と問われて、「幸せになることだ」と答える人がいますよね。でもそれは、目標ではなく目的です。「幸せになる」という目的のために、何をしたらいいのか。お金が必要なのか、結婚をしたいのか──何をもってその人が幸せと言えるのか。そこがはっきりしないまま闇雲に「幸せ」を求めても、辿り着くのは難しいと思います。

──名越さんの場合、スタジオで成功は「目標」にあたると思うのですが、その先にある「目的」はなんなのでしょうか?

名越  結局は、モノ作りで人に喜ばれたいんですよ。ひとりでも多くの方に、「この作品があって良かった」と言ってもらえるようなものを作りたい。それが達成できたらもう何も言うことはありませんし、幸せだと思います。何だかんだ言っても、この商売は出したゲームの面白さが全てです。世界中の人たちに喜んでいただけるゲームを生み出すために、自分には何ができるのか。今まさに、その問いと向き合いながら、スタッフと共に戦いを始めたところです。